日本ニュースより、大日本帝国陸軍で使用されていた、3式戦闘機”飛燕”、連合軍側コードネーム”Tony(トニー)の訓練・実戦映像を抜粋しました。
三式戦闘機は、1943年に制式採用された。開発・製造は川崎航空機により行われ、ドイツの液冷航空エンジンDB601を国産化したハ40を搭載した、当時の日本唯一の量産型液冷戦闘機である。
その搭載エンジンから「和製メッサー」とも呼ばれたが、エンジンとのちに本機の一部が装備したMG 151/20機関砲以外はBf109と全く別の設計である。機体設計は川崎設計陣が独自に行ったものであり、左右一体型の主翼と胴体の接合法、ラジエーター配置、主脚構造などがBf109と大きく異なり、内部構造的には共通点が少ない。
当初アメリカ軍は、本機がBf109である可能性を考慮したが、Bf109のラジエーターは主翼に設置されており形状が異なるために、イタリアのマッキ202のコピーと判断していた。このため、三式戦闘機にはイタリア人男性に多い「Antony」(アンソニー)をもじった「Tony」というコードネームがつけられた。
アメリカ軍のパイロットには、三式戦闘機とは戦いやすかったとし、あるいは対決を好んだ。火力と降下性能は従来の日本機より優秀だが、上昇性能・速度性能共に優れてはおらず、旋回性もP-40に対して互角であり、総じてP-40Nと互角と判断していた。
だが前線のパイロットからの評価と対照的に、アメリカ軍が鹵獲機体を用いた評価・試験の結果をまとめた「陸海軍合同識別帳」によれば、三式戦闘機を「重武装と良好な防弾性能を備えた素晴らしい機体」と高評価している。また日本本土での迎撃戦において最も活動したのはTonyであったと評している。(Wikiより抜粋)
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